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現代にも通じる山田方谷の財政改革

2021年6月 1日

山田方谷(1805-1877年)は、備中松山藩(現在の岡山県高梁市/三宅の故郷井原市の隣です)の家老として、10万両の借金を抱えて財政危機にあった同藩を立て直した人物です。彼の改革は、藩の支出を削減、借金の返済猶予、新事業による収入増など、現代の企業再建にも通じる対策をとっていました。

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①身を切る改革によって歳出を削減
歳入3万両に対して歳出が5万両という収支の改善のために、家中に贅沢禁止令を出し、さらに藩士の俸禄(給与)を減額するなど、支出の削減を図りました。改革に対する家中の反発もありましたが、藩主と方谷自らが木綿の衣服と質素な食事で範を示すことで、改革を断行しました。

②藩の再建計画を示して借金の返済猶予を交渉
10万両の借金返済については、貸主である大坂商人のもとに出向いて、帳簿をもとに藩の実収入や窮状を正直に説明したうえで、藩の再建計画を示して、50年の返済猶予をお願いしました(実際は8年で完済)。

③新事業の立ち上げによる収入増
方谷は、領内で産出される良質の砂鉄を使った刃物、鍋、鍬、鎌などの鉄器や、たばこ、茶、和紙などの生産を領民に奨励し、製品を藩で買い上げ、藩自らが江戸で販売し、利益を上げることで歳入を増やしました。

[参考図書等】『入門山田方谷』(山田方谷に学ぶ会著、明徳出版社)、高梁市ホームページ