MENU

福耳通信

miyachannel

HOME > 福耳通信 > 企業は社会の公器―自社の存在意義を再確認しよう!

企業は社会の公器―自社の存在意義を再確認しよう!

2021年1月11日

「会社はだれのものか?」と聞かれたときにあなたはどう答えますか。もちろん懸命に働き会社を維持してきた経営者にとっては「自分のもの」ですが、「一緒にがんばってきた社員のものでもある」「顧客が支えてくれて今がある」と思う方もいらっしゃるかもしれません。コロナ禍で厳しい環境が続きますが、年初にあたり自社が存在する意味を、改めて考えてみてはいかがでしょうか。

1.「三方よし」とステークホルダー
「売り手によし、買い手によし、世間によし」を示す「三方よし」は、江戸時代から明治にかけて活躍した近江商人の経営哲学の一つといわれています。これは「商いというものは、売り手と買い手の両者が満足するのは当然のことであり、さらに社会に貢献できるものでなければならない」という教えで、現在も商社や繊維メーカーなど近江商人に由来する多くの企業において経営理念の根幹になっているといいます。
この「三方よし」で示されている「社会」の意味を広くとらえた場合、

①顧客
②社員(家族含)
③経営者(家族含)
④取引先
⑤株主
⑥地域社会
⑦環境・資源
⑧行政機関等

の約8種類の利害関係者(ステークホルダー)と考えることができます。つまり、経営者自身とその家族や社員も社会に含まれることになります。そういう観点で見れば、会社は社会のために存在するといえるのかもしれません。

m202101_01.jpg

2.なぜ、「企業は社会の公器」といわれるのか?
「企業は社会の公器」。これは、企業とはそもそも、人、資金、土地、原材料といった社会から預かったものを活用して人々や社会が必要とするものを提供している存在だという考え方です。
松下幸之助は「こういう仕事がしたいと、いくら自分だけで考えても、それが現在もまた、将来においても、人々の求めるものでなく、社会がなんら必要としないものであれば、これは決して企業としてはなりたたない」と述べています。
つまり企業というものは、環境が大きく変化する中で、「顧客の求めるものは何か」を常に考え、その時々のニーズに応じた商品やサービスを考え出し、提供していかなければならず、それと同時に「社会」、つまり企業を取り巻く多くのステークホルダーにも貢献した活動を行わなければ、存続していくことは難しいと受け取ることができます。

m202101_02.jpg

3.中小企業の取り組み方は?
この非常時、当面の社員の扉用や家賃等の固定費を賄う資金を確保し、今後の売上獲得についてどうすればよいのかを考えることが急務です。そして少し落ち着けば、できる範囲で地域社会への貢献活動などに取り組み、それを社長と社員の精神的な糧として、いったんコロナ禍で縮んだバネを再び伸ばすための活動に邁進することも考えられます。
たとえば、石井造園(神奈川県、社員12名)では、地域社会に貢献するという観点から、環境保全活動として「カーボンオフセットの取り組み」「緑化基金活動」「年間500~ 1.000本の苗木無料配布活動」「地域の小学生への環境教育」などを行い、また、造園作業の際には「ISO9001に基づいた業務完了時のアンケートによるお客様満足度調査」等を行っており、それらが社員の意識改革と顧客からの信頼獲得の源泉になっているといいます。
同社の社員が、経営理念に基づいて植木の剪定技術だけでなく、街の緑化や、子供達の健全育成、地域のつながり等を考えて仕事をしていることを顧客が認識してくれれば信頼関係がさらに深まり、それが地域の評判となって仕事に通じてくるのです。ウィズコロナで企業活動を制限せざるを得ないなかで、同社は、今こそ地域社会の中で、未来を見据えた庭や室内空間の価値を大きく見直し、生活様式を確認する機会だととらえています。

<石井造園株式会社の経営理念>
企業活動を通しで幸せを共有する企業を目指す。

1.活き活きとした活力ある聰場環境を作ります。
2.仕入れや発注先は地元を優先し、地域経済の発展に寄与いたします。
3.緑を扱う者として地球環境の改善に貢献します。
4.法に抵触する事はもとより、事後に発覚し格好の悪い事は、絶対にしません。

新型コロナウイルスの感染拡大が依然として心配される中、社会貢献の一つとして全世界的に「医療・介護従事者への感謝」を伝える活動(Clapfor Carers: 医療・介護従事者に拍手を)が行われ、また「持続可能な世界」を実現するための取り組み(SDGs)は普遍的なものと考えられています。今後、中期的な経営を考える際には、自社の存在意義を再認識し、できる範囲で地域社会等とのつながりを重視する行為を、普段の活動の中に取り入れてみるのも一考かもしれません。