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近代日本の基盤づくりに貢献した「帳合之法」

2019年9月27日

西洋の複式簿記を我が国に初めて紹介した福沢諭吉。「学問のすすめ」では、儒学や和学のみならず、商業、工業、計算学を中心とした実学の必要性を説き、その実学の中心として出版されたのが「帳合之法」(明治6年発行)です。

実学としての会計の必要性を説く
幕臣として欧米に3度の渡米経験がある福澤は、日本は西洋思想を取り入れ、欧米列強に負けない近代国家になり、経済を発展させなければ、やがては欧米列強に支配されるとの危機感がありました。
しかし、当時の日本では、儒学思想では「金銭は卑しいもの」とされ、また、士族は「算術や商売は身分の低い者が行うもの」、商人は「商売に学問は不要」という江戸時代からの考えが続いていました。

福澤は、江戸時代から続く儒学、和学、漢学の書物を暗唱するかのごとく読む学問よりも、日常的に普通に使える「実学」が重要で、その代表が簿記会計であるとしています。
「帳合之法」は、単なる西洋の複式簿記を紹介したものではなく、本書を通して、学者は学問を実用性のあるものにして、広く世の中に伝える、商人は勘と経験の商売から会計を利用して商売を拡大させる、これにより、経済が発展し、欧米に負けない国になると訴えています。簿記会計を学校の教科に取り入れ、その実用性が世の中に広く伝われば、商業や工業の発展につながり、日本の近代化が実現できるという想いが本書に込められています。
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簿記教科のテキストになる
「帳合之法」はアメリカの学校で使われる商業簿記の初級テキストがその原書とされ、英語の「Book Keeping」を「帳合」と訳し(後に「簿記」と訳される)、英語の「debit・credit」を、帳簿の「借方・貸方」と訳したのは福澤です。
明治政府により、国民皆学・教育の機会均等などをうたった「学制令」が発布され、学科目に簿記が入り、明治8年に文部省版テキストができるまでの間、「帳合之法」が簿記のテキストとして使われました。

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